挑戦の舞台は北海道から山形へ、新・牧場長の歩みと新たな目標
現在、ノベルズグループの新しい牧場、鳥海高原デーリィファーム、酒田DF育成牧場(山形県酒田市)で牧場長を兼務し、本格稼働へスタッフたちと日々奮闘している内田哲郎さん。
千葉県出身の内田さんは、地元の空港勤務を経て北海道へ移住。牧場、メーカー勤務を経て2017年夏にノベルズグループに入社し、育成牧場で経験を積んだ後、入社4年で新設牧場の運営責任者に就きました。
そこで今回は、内田さんの移住転職ストーリーと、今後の目標について、お話を聞きました。
◆千葉県出身
2017年8月 延与牧場 入社(ノベルズグループ)、イートラスト(ノベルズグループ)を経て
2021年8月 酒田DF育成牧場 牧場長
2022年4月 鳥海高原デーリィファーム 牧場長(兼務)
移住ストーリー① 旅立ち(千葉県→北海道)
まずはじめに、北海道への旅立ち、移住についてお話を伺いたいと思います。地元は千葉県ということで、千葉県のどちらのご出身ですか?
印旛郡栄町です。
印旛といえば、千葉県と茨城県の境にある利根川の近くで、空港のある成田の少し北ですね。もともと、北海道とは何か縁があったのでしょうか?
高校卒業後、北海道の航空専門学校に進学して、2年間、千歳市で寮生活を送っていました。なので、北海道とは学生時代に縁がありました。
ちなみに、どうして航空専門学校に進学されたんですか?
当時、航空会社の仕事を舞台にしたTVドラマが放映されていて、漠然と航空業界に興味があったというのがきっかけです。あと、親元を離れて寮生活をしてみたかったという理由もあります。
もしかして、キムタクの「GOOD LUCK!!」とかですか?
です!
卒業後は希望通りに航空業界へ就職できたんですか?
ドラマの影響もあり、当初、整備士の仕事に憧れていましたが、その道には進めませんでした。整備士にはなれませんでしたが、JALグループの会社に就職し、地元近くの成田空港で勤務していました。仕事は「グランドハンドリング」という、航空機の周囲でうろちょろしているムカデみたいな車両に乗って航空貨物を運搬したり、貨物上屋でのフォークリフト作業などに従事していました。しかし、入社して4年後、JALグループの経営破綻がありました。それに伴い、「羽田空港への転勤」か「退職」、2つの選択肢を突きつけられ、「退職」、そして「北海道へ移住」を選択しました。
リーマンショック後の時代ですね。「退職」「北海道へ移住」を選択した理由は?
東京には住みたくなかったことですかね。北海道への移住は専門学生時代に縁もありましたし、当時は漠然と「牧場の仕事がしたい」と考えました。当時は独身でしたが、後に奥さんとなる方とお付き合いをしていまして、その彼女とは、北海道へ移住した後に結婚し、1年後に第一子が産まれました。
実際に牧場のお仕事は、どのようにして探されたんですか?
「リクナビNEXT」です。
未経験から始めた牧場の仕事は、当初イメージしていたものと違いはありましたか?
当時入社した牧場は、飼養頭数が2,000頭規模で、交雑種とホルスタインを子牛から肥育まで飼養する一貫肥育牧場でした。私はそこで育成部門を担当していました。それまでの仕事は、空港できっちり時間管理されている中で仕事をしていたので、牧場の仕事は思っていたよりも自由に動けるといった部分では違いを感じました。
その後、牧場を4年で退職されました。
牛と関わる仕事はやりがいもあって楽しかったんですが、労働環境の面で気になる点があり、これから先もここで継続していくには難しいと考えて、北海道小樽の添加剤メーカーへ転職しました。この頃に、第二子が産まれました。メーカーに転職してからは、労働環境面の改善はクリアしました。ただ、日々仕事をしている中で、畜産業の仕事への思いが再びフツフツと湧いてきて、再び畜産業界へ挑戦することを決意し、ノベルズグループの延与牧場へ入社することになりました。2017年夏のことです。
「畜産業への想い」が再び、ということで、具体的にどんな想いが湧き出てきたのでしょうか?
普通のサラリーマン生活をしている中で、自然の中で働く農業の楽しさや、牛が好きだったので、純粋に恋しくなったからですね。再び、牛の業界への転職を決めた時は、色々な求人サイトを見ましたが、その中でノベルズを見つけたという感じです。
移住ストーリー② ノベルズグループへの入社
ここからは、ノベルズに入社後のお話について、聞かせてください。
延与牧場に入社後、最初は「離乳舎部門」に配属され、育成牛の業務を担当しました。その後、主に交雑種の育成ですが、「エサ部門 、「隔離部門」、「ハッチ部門」、「哺乳舎部門」を、ひと通り経験しました。
ノベルズへ転職してきて、最初の印象はいかがでしたか?
圧倒的な規模感を前に、全貌が見えなかったというのが印象です。また、人事部や総務部などの管理部門のほかに研究所があったり、現場に対するサポート体制が手厚く、一般的な牧場経営のイメージとはだいぶ違うなと思いました。
改めて、牧場の仕事を始められたわけですが、この仕事でやりがいを感じる瞬間は、どんな時ですか?
やはり、担当している部門の仕事で、自身の行動で現場成績が改善した時に、達成感を実感しますね。日々、成長する牛と関わっていく中でもやりがいを感じていました。
航空会社や前職の牧場、メーカーでの営業経験が、現在のノベルズでの仕事で生きている場面とかありましたか?
牛を管理する基礎の部分は、以前勤めていた牧場での経験があったからこそであったと感じます。航空会社やメーカー勤務時代の経験については、対人関係のスキルであったり、改善意識といった部分で活かされていると牧場現場で感じます。
移住ストーリー③ 新たな挑戦、山形へ
その後、山形県酒田市にある、新しい牧場へ転籍、移住することになりますが、どのような経緯があったのでしょうか?
2020年に入った頃、当時の上司から山形県での新規プロジェクトの話を聞きました。そこで、「ぜひ、私に行かせて下さい」とお願いをしたところから、山形事業への関わりが始まりました。
会社にとっても一大プロジェクトですが、なぜ自ら手を挙げて、山形行きを決断されたんですか?
ノベルズグループに入社する際、「これだけの規模の畜産企業であれば、いずれ牧場を新設する機会があるだろう」と思っていました。その際、「牧場立ち上げの先頭に立っていたい」、と入社時の目標があったので、ここがチャンスだと考えました。
北海道に続き、山形への移住、新たな挑戦の話を聞いた時、奥さまやご家族の反応はいかがでしたか?
これまで、様々な土地を転々としてきたので、大きく反対はされませんでした。子供がある程度大きくなっていたので、子供のお友達関係などの面で、「最初は単身赴任だね」と言われていましたが、最終的には家族みんなで転居することになりました。
山形事業への参画が決まってからは、忙しかったのではないですか?
上司からプロジェクトへの参加が承認された後は、同じグループの育成牧場、イートラストへ転籍し、「ハッチ」、「哺乳舎」、「育成舎」、「エサ」の各業務を担当しながら、酒田DF育成牧場で飼養することになる和牛子牛の哺育ノウハウを勉強しました。並行して、新設牧場の設計図面の確認や、立ち上げ時に必要な重機の選定・備品の発注、業者との打ち合わせなどを進めていき、2021年8月に酒田DF育成牧場の牧場長として着任しました。8月下旬あたりから早々に、隣接する鳥海高原デーリィファームでの分娩が始まったので、それに合わせて酒田DF育成牧場の業務もスタートした形です。
鳥海高原デーリィファームの牧場長と、いつから兼務になったんですか?
育成牧場の方はまだ牛の頭数が少なかったので、育成牛の管理をしながら、隣接する酪農牧場の作業や畑作業の応援をしていました。そんな中、ノベルズグループの延與雄一郎代表より、「酪農牧場もやってみないか」と声をかけていただき、「是非に」とお伝えしたところから、酪農の仕事も徐々に増え始めました。その後、2022年4月に正式に鳥海高原デーリィファームの取締役と牧場長の役職を拝命し、酪農牧場と育成牧場の牧場長を兼任することになり、今日にいたります。
酪農牧場での実務経験は、殆どなかったかと思いますが、育成牧場での仕事と比べて、どんなところに魅力を感じていますか?
酪農牧場では毎日牛乳を搾っているんですが、まず一つは毎日お金が生まれる事業である点です。また、ノベルズグループの酪農牧場ではホルスタインから和牛を産ませているので、その収益性の高さは魅力でした。あとは、これまで育成部門で扱ってきた若い牛たちと比較して、酪農で扱っているホルスタインは年齢的にも成熟しているので、これまでよりも牛たちとのキャッチボールができる部分は魅力的に感じました。そのほか、酪農の魅力としては、エサのメニュー内容や、日々お世話するスタッフの技術レベル・知識レベルが、ダイレクトに牛の成績に出る部分ですね。もちろん難しさもありますが、逆にやりがいでもあると感じています。
北海道、山形での暮らしを比較して
これまで過ごされてきた千葉県、北海道、山形県、それぞれでの暮らしのお話についても聞かせてください。
北海道と山形県では、今のところゴキブリを見てなくて、これはとても大きなメリットですね(笑)。気候については、夜はクーラーをつけないと眠れない時もある千葉の夏と比べて、北海道や山形の夏は涼しくてとても過ごしやすいです。逆に冬はとても寒いですが、寒い時たくさん着込めば良いので、そこは慣れですね。また、生活面では暖房費であったり、スタットレスタイヤの費用であったりと、寒い土地、雪国ならではの出費はあります。ただ、その辺りも含めて雪国での生活なので、良いところも悪いところもひっくるめて北海道、そして現在の山形での暮らしを楽しんでいます。北海道も山形も食べ物は美味しいので、何もせずに動かないと、太ってしまいます。
自分も北海道へ移住転職して5年目になりますが、私は現場のお仕事ではないこともありますが、半年で10kg増量してしまい、最近さらに4kg増量してしまいました…。ちなみに、北海道と山形、どちらがお気に入りですか?
それはなかなか甲乙つけ難い感じですね。正直、どちらも魅力的です。家族も同じように感じていると思います。現在の暮らしの拠点は山形なので、こっちかなと思います。
牧場長の仕事と将来の夢
ここからは、現在の牧場長としてのお仕事や、これからの夢について、お話を聞かせてください。まずは、牧場長の役割について教えてください。
大きく3つあります。1つは、担当牧場の管理運営です。私の場合、鳥海高原デーリィファームと酒田DF育成牧場、2つの牧場を管理運営しており、ここに関わる「人・牛・機械・お金(予算管理)など、牧場運営に関わる全般を任されています。2つめは、協力業者との折衝や協力業者の新規開拓です。当社は山形県では新参者です。日々、牧場運営に協力していただいている様々な業者様とのお付き合いはとても大事に考えており、新たな協力業者様を探していくのも私の仕事だと考えています。3つ目は、ノベルズグループ経営層に対する牧場経営状況の報告になります。現状の良い点や課題点を、しっかりと報告しています。
新しい牧場のリーダーになってから、嬉しかったこと、辛かったことなどはありましたか?
やはり牛の成績が良いと嬉しいですし、逆に悪い時もあるので、その時は大変な思いもします。一緒に頑張って働いてきた仲間が退職する時は、一番辛いですね。顔には出さないようにしていますが…。人も牛も機械も、全てにおいて良い時もあれば悪い時もあります。
ちなみに下世話な質問ですが、入社当時、一般牧場スタッフだった時と比べて、お給料はどれくらいアップしたんでしょうか?
お給料は、牧場長になってから入社時より「2.○○倍くらい」アップしました! しっかりと家族を養っていけています。
今後、牧場長として2つの牧場をどうしていきたいか、自身の夢や目標などありましたら、こっそり教えてもらえますか?
この山形県酒田市に「日本一の牧場をつくる」、という目標を立てています。何を持って日本一かはさておき、牧場単体だけではなく、協力してくださる農家様や業者様と一緒に、この酒田市を盛り上げていきたいです。現在、酒田市では水稲農家様と「耕畜連携」を推進していますが、地域の課題を協力して解決しながら、この地域に無くてはならない、地域の核となるような事業体へと成長できればと考えています。
そんな夢を実現するためには、多くの仲間たちの協力が不可欠になってくると思いますが、どんな方と共にチャレンジしていただきたいと思いますか?
やはり、牛を大切にする人、仲間を大切にする人。そして、ここ庄内・酒田に「日本一の牧場をつくる」といった目標を掲げているので、そこに向かって一緒に走り続けてくださる人。そんな方たちと一緒にこの牧場を盛り上げていきたいですね。
牧場で働くなら、ノベルズでチャレンジ!
創業以来、北海道・十勝を拠点に、持続可能な農業経営を追求しているノベルズグループでは、現在、酪農牧場、肉牛牧場(肥育牧場、育成牧場)で正社員を募集しています。北海道内で12牧場、山形県(酒田市、最上町)で3牧場を経営しており、各牧場では異業種&移住転職を果たした仲間が、数多く活躍しています。業界未経験の方、移住先での仕事の選択肢を検討中の方は、気軽にご相談ください。「ノベルズウェーブ」ではそんな皆さんに役立つ情報を提供するほか、「ノベルズグループ採用サイト」では、現在募集中の求人情報を紹介していますので、併せてご参照ください。
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