Uターン転職を果たした夫婦の物語。地方移住の不安は?どんな働き方しているの?
東京から夫婦で互いの実家のある北海道帯広市にUターンした有城夫妻。移住前から「いずれは故郷に戻りたかった」と夫の裕一郎さんが話す一方で、妻の豊子さんは「私は東京でキャリアを積みたかった」と真逆です。それでも地方移住を果たした理由は新型コロナによる企業の働き方改革でした。
◆36歳
◆帯広市出身
◆35歳
◆帯広市出身
ふたりの上京物語
お互いに北海道帯広市出身ですが、出会いは東京でした。別々の理由で上京して10年。紆余曲折を経て結婚した二人の足跡を聞きました。
2020年にUターンを果たすまでの紆余曲折が知りたいです。まずは上京した話から聞かせてください。
さん
帯広で生まれ育ち、高校は大谷高校に進学。残念ながら平凡な高校生でしたね。卒業後は母が看護師ということもあり、北海道の千歳市にある医療系の専門学校に進んだんですが、残念ながら途中で辞めちゃいました。
辞めた後は帯広に戻ってきて医薬品販売会社で営業として働き始めたのですが、地元で営業をする中、悶々とした気持ちが消えず、自分のやりたいことを模索しました。すると頭に浮かんだのが「大好きな映画の世界で働きたい」でした。そして、親を説得して東京にある映像専門学校に入学したんです。
つぎは、奥様の上京物語ですね。
生まれ育ちも帯広です。高校は普通科の勉強が嫌だったので、帯広南商業高校に入学しました。卒業後の就職率が高い商業高校ですが、当時の私には就職するイメージが出来ず…。進学を決意し、成績もそこそこよかったので、小樽商科大学に推薦枠で進学出来ました。
普通の勉強をしたくない人が、北海道では決して偏差値も低くない国立大学に進学できるってすごいことだと思うんです。
ありがとうございます。大学では年齢も出身も関係なく多くの人に出会い、楽しく過ごしました。あっという間に4年生になって就職活動をするのですが、視野を広げたいという気持ちが一番で、北海道外の会社を探しました。そうして決まったのが、東京に本社のある人材派遣会社でした。
晴れてふたりとも上京を果たしたわけですね。このときはまだ、出会ってもいないのが面白いです。
Uターンが芽生えた理由は東京での地元
互いに目標・目的が曖昧な学生時代を経て、上京を果たしました。このときはまだ、同郷でありながら出会ってもいなかった二人の東京物語とは……。
先ずは、東京時代と出会いを聞きたいです。
人材派遣会社では、コールセンターのマネジメント部門に配属された後に営業部へ異動。人材業のノウハウを学びました。そして、転機はすぐに訪れました。パートナー会社からヘッドハンティングされて、通信会社へ転職。ベンチャー企業でもあったので採用と経理を兼務しました。業務は多かったのですが、“やりがい”ある仕事で楽しくキャリアを積んでいけました。
さん
映像専門学校を卒業して就職したのが、都内にある小さな映画の宣伝会社です。振り返れば私のスキルのなさも悪かったのでしょうが、がむしゃらに仕事しかない生活でした。今でこそ、「ブラック企業」と言うのかもしれませんが、当時はそんなことは知らず、とにかく休みなく働く日々でした。ただ、仕事というより作業ばかりが多く、成長イメージがまったくなかったですね。まさに給与も少なかった時代で、今振り返ればワーキングプア状態でしたよ。
苦労されたわけですね。
さん
すいません。そんなプア生活をする中で、友人から頼まれた映画祭の手伝いが転機となります。埼玉県にある映像施設を運営する会社から声をかけられ、同社の広報として働くことになったんです。しかも、転職してすぐに、地元紙「十勝毎日新聞」の東京で頑張る十勝の人という内容でインタビューを受け、両親や地元の友人に自分の頑張っている姿を見せられ、ホッとしたのを覚えています。
下積みを経て、順風満帆な人生を歩みだしたわけですね。
当時は順風満帆とは思っていませんでしたよ。ようやくまともな生活ができるようになった頃だったと思います。
そして、二人が出会う!?
まさに!です。
友人から「女性を紹介してほしい」と頼まれ、友達を連れて、食事にいった際の前の席に座っていたのが裕一郎さんです。
さん
誘ってくれた友人は、とかち時代から知る、互いに共通の友人でした。東京にあるふるさと会「とかち東京クラブ」で再会したのがきっかけです。
「とかち東京クラブ」なるふるさと会があるってことに驚きました。
さん
十勝出身者や縁のある人達が集まる食事会です。毎月、十勝の食材を使った店や十勝出身者が運営する店で開かれていたんです。
なるほど。そしてふたりは急接近したというわけですね。
さん
同郷ということで話も盛り上がり、別の日に二人で会うことになったのがきっかけですね。
そして二人で「Uターンして、地元で結婚しよう」となったのですね。
違います。当時の私は文字通りの順風満帆で、東京でキャリアを積みたいと思っていました。
さん
私は、地元紙に載った頃から「いずれは地元に凱旋したい」と漠然と考える程度でした。
豊子さんとの生活が楽しすぎて、それほど真剣にUターンを考えなかったということですね。
さん
そうです。あの頃は、プア生活で疲れた果てたなかで、ようやく上手く行き始めた頃です。Uターン思考は芽生えましたが、行動に移したわけではなく「先ずはこのひとを幸せにしたい」とばかり考えていました。
……。
Uターン転職成功のコツはコミュニケーション
東京にある十勝(ふるさと会)をきっかけに急接近した二人に待っていたのは、「結婚」直前に起こった順風満帆の終焉。果たしてUターンはどう決まったのか。
「この人を幸せに……。」ということは、すぐに“結婚”となったわけですね。
さん
出会いから3年の月日を経ての結婚でした。
3年というスケジュール感がいいですね。
ところが!です。なんと、結婚式の直前に、ヘッドハンティングをされて入社した会社が突然、倒産しました。まさに順風満帆の終焉です。
盛り上がるネタをありがとうございます。
結婚式を挙げたときは、転職活動の真っ最中でした。
さん
ちなみに、私も意気揚々と入った埼玉の会社も結局は契約社員のままで、結婚を機にどうにか正社員になりたいと模索していました。
厳しい門出となったのですね。
さん
新婚当初は、夫婦揃って転職活動していた感じですね。ただし、東京での順風満帆は終わりましたが、転機が近づいてはいました。
Uターン!ですね。
さん
はい、悶々と模索を続ける中で、地元紙に載ったり、ふるさと会を通じて、十勝との接点が深まっていきました。そんな中、ふるさと会メンバーから誘われ、十勝の自治体が二子玉川で開催した2019年度前期放送のNHK連続テレビ小説「なつぞら」に因んだイベントに参加。そこで、帯広市の展示ブースでの移住促進担当者との出会いが、Uターンを加速させていきます。
はやく聞かせてください。
さん
イベント後、帯広市の担当者とは密に連絡をとっていきましたが、なかなか、希望する職種は見つかりませんでした。コミュニケーションを図る中、「募集はしていないけど、裕一郎さんに合う会社がある」と紹介を受けたのが現在の会社です。すぐに連絡を取り、実際に社長と会う機会を頂戴します。すぐに転職のお話ではありませんでしたが、過去のイベントの仕事でニアミスしていることなどで盛り上がり、そこから何度も連絡をとりあうようになりました。
出会いですね。
さん
はい。社長とは何度もコミュニケーションをとる中で、私の東京での仕事内容や、これまでの経歴などを伝えたところ、「将来、会社にこないか」と誘われたのです。ただ、当時は在籍する会社のプロジェクトリーダーでしたので、「今は行けませんが半年後にはいけます」と答えたところ、「待っているのでぜひ来て欲しい」とおっしゃって頂いたのです。
Uターン決定ですね。
さん
はい。縁を大事に、紡いでいった感じですね。時間をかけて育み、相思相愛となった感じでしょうか。念願のUターンが決定(成就)した瞬間でした。
“相思相愛”。理想の転職ですね。そしてUターンおめでとうございます。
待ってください。問題はここからですよ。裕一郎さんはもともとUターン思考が強かったので良かったかもしれませんが、私は違いましたから。
地方移住への不安はお金と車と刺激不足
紆余曲折を経て、自分だけUターン(願い)を成就した有城夫妻。夫はキャリア思考の妻をどう説得したのか。そして、移住を前に立ちはだかる不安をどう払拭したのか。
忘れていました。豊子さんの出番です。
結婚式直前に勤め先の会社が倒産し、転職活動をしていた私ですが、夫が粛々とUターン計画を進行させる中、私は、とある上場会社の派遣社員となっていました。勢いに乗っているその会社(現在も同じ)での仕事は楽しく、続けていきたいと思っていた矢先の夫のUターン決定です。
猛反対したわけですね。
反対はしませんでしたが悩ました。地元で働くという感覚がありませんでしたし、キャリアを生かせる仕事があるとも思えません。夫は縁を育み成就したからいいですけど、私は育む努力もしていませんでしたから。
ところが、いまはこうして2人でいるのですから上手くいったわけですね。
偶然ですが、勤めていた会社には、子育てしながら働く女性が多く、新型コロナが流行る前からリモートワークが浸透していたんです。夫のUターンが決まった2020年は、新型コロナが流行した時期で、多くの会社がリモートワークの検討をはじめた頃です。ところが、実績のある私の勤めていた会社はすぐにフルリモートワークに切り替え、上司からは「出勤する必要もないから北海道に移住しちゃいなよ」と逆に背中を押されたくらいです。
まさに、時代の申し子だったわけですね。
さん
ようやく運が向いてきた感じでした。
それは私のセリフです。運が良いのは私です。
仕事の確保ができたら話は早いですね。
そうでもないですよ。地元なので家賃が東京に比べて安いのはわかっていましたが、車を買わないといけませんし、生活費だってどのくらいかかるか検討も付きませんでした。物価は安いと言われていますが、実際、スーパーマーケットやコンビニでの食品の価格は東京とそれほど変わりません。
東京には激安スーパーもあるので、むしろ選択肢が少ない分、高くつく商品もあるくらいです。相思相愛とはいえ、夫の年収は東京よりも下がるのでお金の心配も残りました。
さん
コンサートやライブに、展示会など文化的な刺激が遠のく不安もありました。
でもUターンは辞めなかったのですよね。
それ以上のプラスαがあったので。
それはなんですか?
自然の中で生きる喜びと実家(親族)があるという安心感です。東京時代、特にコロナが流行してからは、気軽に帰れなくなり、「両親に何かあったら…」という思いがありました。夫婦の会話の中では「子育てするなら東京より地元がいいよね」など、Uターンを意識する機会はありましたから。何よりUターンの強みは、“腰が据わる”でしょうか。
“腰が据わる”。名言ですね。
UターンとIターンの違いってそこだと思うんです。Iターンは、都会から地方に移住するわけですが、縁もゆかりもない場所に住むことが多いはずです。腰が据わるというより、新たな環境を切り開く感じですよね。だから、Iターン者は趣味やアウトドアといったアクティブに行動する人が多いです。
逆にUターン者は地元なので、アクティブさはありませんが腰が据わるんで一軒家を建てたりと、地元に貢献をしようとボランティアなどをはじめる方が多いと思うんです。
なるほどです。有城夫妻の馴れ初めとUターンとIターンの違いがよくわかったところで、インタビューを締めたいと思います。「いつかはUターンしたい」という願いを続けながら、縁を大事に、繋がりを太く育てたことで叶えた有城裕一郎さん。そして、時代に沿った働き方で、Uターンを果たした奥様の豊子さん。二人のインタビューにより、東京から夫婦でUターンを実現したリアルを知れたのではないでしょうか。
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創業以来、北海道・十勝を拠点に、持続可能な農業経営を追求しているノベルズグループでは、現在、酪農牧場、肉牛牧場(肥育牧場、育成牧場)で正社員を募集しています。北海道内で12牧場、山形県(酒田市、最上町)で3牧場を経営しており、各牧場では異業種&移住転職を果たした仲間が、数多く活躍しています。業界未経験の方、移住先での仕事の選択肢を検討中の方は、気軽にご相談ください。「ノベルズウェーブ」ではそんな皆さんに役立つ情報を提供するほか、「ノベルズグループ採用サイト」では、現在募集中の求人情報を紹介していますので、併せてご参照ください。
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